MAIのシンプルライフ

自分の持ち物を100%把握できる生活を目指しています

後悔しないために自分で決める

あっさりと東京は梅雨明け宣言!

青い空と明るい太陽を見てると元気になるけど

この暑さでは昼間に外出する意欲がなくなりますね

 

私の持病が発覚したとき

両親はとても心を痛め

どちらからの遺伝なのか?と考えていました

うちの家系には居ないけどね・・・と言われるたびに

相手方の家系のせいだと思い事は理解できたけど

私にとってはどちらも親なので正直気分は良くなかった

 

病気なんてつきつめれば

すべて遺伝か生活習慣だと思う

遺伝だとしたら母方からなのか父方からなのか

考えたって仕方ない

日本人の起源なんて、そう多くはないし

遡ればどちらも可能性は有ると思うから

 

誰かのせいにするのは

とっても簡単な事だけど

なんの解決にもならないなーと思うのです

 

今日、接骨院の担当者を変えてもらいました

2ヶ月半施術してもらって

体調が改善する時も改善しない時もあり

担当者のせいばかりでは無いとわかっているけど

他の先生に担当してもらった時に改善を感じると

やっぱり担当を変更したいな!と思うようになって

 

担当を変えたいと言ったとき

現担当者は一瞬無言になって微妙な空気が・・・

僕の何が不満なの?と思ったか思わないかは知らないけど

私が彼の立場なら、きっとショックだと思う

 

現担当者には申し訳ないけど

自分で決められることは自分で決めたい

 

現担当者の気分を害す事はわかっていたけど

このまま現担当者に施術をお願いして改善しない時に

やっぱり別の先生にお願いすれば良かった!と思わないために

言い辛い事を言ってきました

 

治療に関しても

専門性が必要な部分を自分で決める事は出来ないけど

どの専門家に判断を委ねるのかを決めるのは自分だと思う

 

間違った判断をすることもあるけど

自分で決めたことなら反省はあっても後悔はないと思う

 

あるものを使い切るより処分する方が優先

シンプルライフを始める際

物を処分する事に罪悪感を感じていました

 

自分が働いて手に入れたもの

誰かが自分を思って贈ってくれたもの

 

今でも、使えるものを処分するのには抵抗があり

出来ることなら使い切ってから!と思っています

 

が・・・

使えるものにも2種類あることに気づきました

 

自分が使えるものと

自分は使えないけど、他の誰かは使えるかもしれないもの

 

自分が使えないもの・必要ないものを

使い切るまで置いておこうとすると

ソレはいつまでも使われることなく

ソコに鎮座してしまう

 

もったいないという気持ちは大切だけど

そちらを優先してしまうと

自分の心の中にモヤモヤが残ってしまう

 

この罪悪感を感じる作業は

一気に行い一気に罪悪感を感じてしまうのが良いのかも

 

私は、なかなか割り切れず罪悪感とモヤモヤとが共存して

いまだに右往左往しているけれど

処分したもの振り返って処分しなければ良かったと思ったことは1度もない

そして一度処分して罪悪感を感じた後は

その罪悪感がぶりかえしてくることもない

 

モヤモヤとフローリングの上をただようワンコの毛のように

掃除機で一気に吸い取ればスッキリとする

そして一度吸い取ったワンコの毛が

再びフローリングの上でモヤモヤすることはない

 

このワンコの毛を人形にしてくれるサービスもあるらしい

使いみちが無いものではないけれど

私は、ワンコがいれば人形はいらないから

私にとっては不要なもの

 

ただ、一気に吸い取ったとしても

ワンコを飼っているかぎりは

新たな毛は現れるのだけど・・・

 

物も同じ

 

期待しない生き方

期待しない生き方ができれば

心穏やかに生きられるのに・・・と思うことがある

 

諦めるということではなく

期待しないとうこと

 

人に期待しなければ

意に反したときの失望はない

 

治療に期待しなければ

体調が悪くならない限り受け止められる

 

意識していても

いつも何処かで期待という光を探してしまう